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高見 順(作家・1907〜1965)
「染太郎」といえば高見順のお店。と例える人もいるほどその関係は深い。屋号「風流お好み焼き 染太郎」は高見氏の命名によるもの。
昭和14年1月号から「文藝」に連載された、浅草を舞台にした小説「如何なる星の下に」のお好み焼き屋「惚太郎」は「染太郎」をモデルにしており、その後も店内や2階で原稿を執筆する事もあったという。多くの文士が暖簾をくぐったのは高見氏に端を発し、高見文学に触れようと店を訪れる人は後を絶たない。現在も毎年、二の酉の日に高見氏を偲ぶ会が本店で開かれている。 |
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坂口安吾(作家・1905〜1955)
高見氏と並ぶ「染太郎」の常連文士。仕事場や隠れ家にしたり酔って寝泊りする事はしょっちゅうだった。原稿執筆の際は閉店後も女将さんを傍らに座らせ、就寝しようとすると承知せず、原稿用紙がなくなると深夜でも買いに行かせるなど、わがままで寂しがりやな一面を覗えるエピソードも残る。女将さんの言葉を借りれば、豪放に見える反面、はにかみ屋で臆病が同居しているようだったと言う。色紙にある手をついた鉄板は創業からのもので今でも本店の2番テーブルで使われている。(鉄板で火傷・・・とは坂口安吾がかつて騙されて金を取られた事件と結びつけた自嘲を込めての言葉。実は女将さんの迅速な処置で火傷には至らなかったのが本当のところ。)
また、旅行先の土佐から戻る際、新橋から自宅へ向かう電車に乗り遅れ、「染太郎」で時間をつぶすと店から珍しく電話を入れたが、自宅に戻った翌々朝に急逝。遺族の知る最後に訪れた店となった。その後、偲ぶ界「安吾忌」も数度本店で行われた。 |
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井上 光(劇作家)
愛称ピカちゃん。創業のきっかけを作った“2階で稽古をしていた剣劇の座付き作家”がこの人。学生時代から高見順に傾倒しており、高見氏の住んでいた大森界隈を徘徊して知己を得、浅草を舞台に小説を書こうとしていた高見を創業直後の名も無いお好み焼き屋、後の「染太郎」に案内した。これを機に「染太郎」と高見氏の関係が始まり、高見氏は浅草に居を移す。浅草エンターテイメントの黄金期に剣劇など多くの舞台脚本を執筆したが太平洋戦争により戦死。女将さんは折に触れ「この店はピカちゃんのおかげで出来たのよ」と言っていた。 |
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淀橋 太郎(演出家)
「染太郎」開店第一号の客。六区でばったり会った歌手に「俺が今二階を借りている家で今日からお好み焼き屋を始めたから行ってやってくれ」と言われ、その足で向かったと言う。シミキン一座の作。演出や戦後は新青年座で活躍。「染太郎」通い出会った坂口安吾などとも交流は深く、坂口安吾の「青春論」にもその名前が出てくる。著作「浅草ラプソティー」
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森川 信(俳優)
戦前戦後の人気喜劇俳優。「男はつらいよ」の初代オイちゃんとしても有名。もともと、関西の芸人だったが、昭和10年代に東京に進出。「染太郎」にはその頃から良く顔を出していた。間もないうちに浅草でも人気者に。映画、テレビでも活躍した。 |
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山茶花 究(俳優)
人気喜劇グループ、あきれたボーイズのメンバー。戦後派新青年座などで活躍した。喜劇映画にも多数出演。黒澤映画の常連俳優でもあった。 |
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田中 英光(作家)
僅かな作品を残してこの世を去った作家。オリンピック選手だったと言う経歴を持つ。「染太郎」には、よく顔を出したと言うより入り浸っていた。暮らしていた時期もあったという。居続けて原稿を執筆する一方でアドルム(睡眠薬の一種)と酒を併用して泥酔。度々女将さんの手を焼かせたが、急逝後の女将さんの悲しみは大変なものだったという。 |